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『伊万里焼』                                                                    これにはいろいろな説がありますが、17世紀初め、朝鮮半島の陶工(李三平)が佐賀の有田で白磁の材料(陶石)を発見し、日本で初めて磁器を焼いたのが『伊万里焼』の始まりと言われています。有田で焼かれたものを伊万里港から運んでいたので、この地域で焼かれ磁器を『伊万里焼』と呼ぶようになりました。江戸時代の伊万里焼は製造時期と様式により、「初期伊万里様式」「古九谷様式」「柿右衛門様式」「金襴手様式」に分けられます。これらとは違い、献上用で鍋島藩の御用窯で作られたものを「鍋島様式」と呼びます。その後、江戸後期に各地で磁器が焼かれるようになるまで、「有田」は磁器を作る上で特別な産地となった訳です。                                                                       現代では、その美しさはもちろん、陶器より華奢(きゃしゃ)にも関わらず丈夫で硬いことで、日用品としても大活躍しています。

【伊万里焼の魅力】                                                                 中国を模倣した鮮やかで繊細な絵柄と、雪のように美しい白い素地。

『九谷焼』                                                                     その歴史は、江戸時代初期の1655年頃にさかのぼります。加賀の大聖寺藩(だいしょうじはん)の九谷の金山で磁鉱が発見され、この場所で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて佐賀県の有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷で窯を築いたのが始まりとされています。九谷焼の特徴は群青色の釉薬で線描きし、「五彩」と呼ばれる、赤、黄、緑、紫、紺青の5色で絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法です。絵柄は、山水、花鳥など絵画的で大胆な上絵付がなされており、力強い印象を与えます。

【九谷焼の魅力】                                                                  赤・黄・緑・紫・紺青「五彩」の華麗で圧倒的な色使い。緑色を印象的に使った「青手」など、九谷独特の表現。

以上、9回にわたって日本の焼物について書きました。

では、また。