ずっと『六古窯』について書いておりますが、今日はその4回目で「丹波焼」についてです。 平安時代末期から鎌倉時代の始め、現在の兵庫県篠山市で常滑焼の影響を受けた焼し締め陶器が発祥とされています。地中を掘って作った「穴窯」が使用されていた桃山時代までは小野原焼と呼ばれていました。慶長16年頃、朝鮮式の「半地上の窯」が導入され,また同時に“蹴りろくろ”も取り入れられ、「丹波焼」、「立杭焼」と呼ばれるようになりました。当初は壺やすり鉢などを作っていましたが、江戸時代になると小堀遠州(※江戸初期の大名茶人)などの指導によって茶入、水指、茶碗といった茶器類に多くの名器を生みました。江戸時代後期には、篠山藩が保護育成を行ったことでさらに名前が高まりました。
丹波焼の陶土は粘りがあり、鉄分を多く含んでいます。また、耐火温度が高いので堅く、深みのある赤褐色になった部分に自然釉の緑色がかかり、独特の味わいが生まれます。装飾はあまり施されず、余分な飾りがないのが特徴ですが、室町時代から江戸時代にかけて、形や装飾が変化。“粉引き”、“墨流し”といった釉や、“筒描き”、“型押し”、“釘彫り”など、様々な文様が加えられるようになりました。その変化を『丹波の七化け』という言葉が生まれたほどです。 現在は、食器や花器など、素朴な民芸調の器が多く作られています。
【丹波焼の魅力】 強力な還元焔といわれる焔(ほのお)で生まれる、濃緑(ビードロ色)の自然釉。ところどころに小石がのぞく、焼き締めの力強い土肌。
以上、今日は、『六古窯』その4と題し、「丹波焼」について書きました。
では、また次回。