慶長6年(1601)の5月、徳川家康は摂津の豪商「末吉勘兵衛」か
らの銀座(※1)の設置申し入れを許可し、7月から伏見銀座で丁銀の
製造がはじまりました。この丁銀『慶長丁銀』または『慶長銀』の
手本刻印として菊一文字、えびす一文字、大黒常是(じょうぜ)の3
種の中から家康は、大黒極印の丁銀に決めました。
慶長金が1枚1両または、1枚1分に対し、丁銀は中国の銀の使用
方法合わせて、目方を量って使用する“秤量貨幣”の方法を採用しま
した。
(※1の座とは、貨幣など特別に許可の必要な免許品を製造する場所)
慶長11年には駿河にも銀座が置かれています。また、伏見銀座は慶
長13年に京都に移され、その後、慶長17に駿河銀座は江戸に移され
て、江戸銀座となりました。(現在の東京都中央区の“銀座”の名前
の由来です)
慶長銀(慶長丁銀)は1695年まで100年近く製造されました。規定
品位は銀が1000分の800で製造高は約120万貫(※1貫は1,000匁=
10,000分で現代の約1,250,000円分に相当します)です。
表面の極印柄は「常是・寶・大黒像」です。(時代によって書体は
変化します)
※なお、慶長丁銀より以前に存在した丁銀として、室町時代~のも
のを『古丁銀』といいます。古丁銀については、機会があれば触れ
たいと思います。
以下に慶長丁銀以外の種類を記しておきます。
元禄丁銀1695~1706(製造量:約405,850貫)
宝永二ツ宝丁銀1706~1710(製造量:278,130貫)
宝永永字丁銀1710(製造量:5,816貫)
宝永三ツ宝丁銀1710~1711(製造量:370,487貫)
宝永四ツ宝丁銀1711~1712(製造量:401,240貫)
享保丁銀1714~1736(製造量:331,420貫)
元文丁銀1736~1818(製造量:525,465貫)
文政丁銀1820~1837(製造量:224,981貫)
天保丁銀1837~1858(製造量:182,108貫)
安政丁銀1859~1865年(製造量:102,907貫)
(日本貨幣カタログ2017参照)
次回は、近代貨幣の王様『旧20円金貨他』についてです。
では、また。
(写真は、宝永二ツ宝丁銀)