今日は、九谷焼の画風についてお話ししたいと思います。
九谷焼の始まりは、今から約360年前の明歴元年(1655)、有田(佐賀県有田町)で陶技を学んだ『後藤才次郎』が、加賀藩の命で九谷村に窯を築いたのが始まりとされていて、青・黄・紫を用いて志那風の山水、草花を描きました。これがいわゆる『古九谷』です。次は文化年間(1804~1817)『青木木米』により中絶していた九谷焼を再興。素地に赤色を塗り人物を描きました。これが『木米風』です。次は文政年間(1818~1829)『吉田屋伝右衛門』が、素地に紫・黄・青を使って一面を塗り、小紋、草花を描きました。これが『吉田屋風』です。その後、天保時代(1830~1843)になって『飯田屋八郎エ門』が赤と金の彩色を施して細かい線で赤絵を描きました。これが『飯田屋風』です。慶応年間(1865~1867)では、『九谷庄三』が花鳥・山水画を描き、青・黄・赤・紫・金等で金襴手の手法を確立しました。これが『庄三風』です。明治に入り京焼の陶芸家『永楽和全』により、赤地に金色で花虫・鳥を描きました。これが『永楽風』です。そして、明治から100年以上経った今現在でも日展常連作家らを中心に伝統美溢れる素晴らしい作品を生み出しています。
写真は、当店所有の九谷焼の『金襴手』中皿(8寸)です。