ブログ

皆さん、待ちに待った『春』がそこまで来ましたね。ちょうど今は、“三寒四温” の季節とでも言いましょうか、急に暑くなったり、寒くなったりと体調も崩しやすい時季ですので、気を付けてください。

さて、小生個人的に『九谷焼』の煎茶道具が好きで、よく仕事の合間に九谷焼の茶器でお茶を頂いておりますが、そんな『九谷焼』、以前も概要だけは少し触れさせていただきましたが、今回と次回の2回に分けて内容をもう少し掘り下げてみようかと思っています。九谷焼は、1661年加賀九谷村に良質の磁石が発見されたのを発端に、前田藩の後藤才次郎が藩主の保護のもとに窯を築いて作ったのが最初とされています。九谷焼の生命は何と言っても“絵付け” にあります。絵付けの調子が『時の表情』を物語っている点が特色と言えるでしょう。古九谷の時代は江戸時代初期に属しますが、戦国の時代色を失わず、画風は豪快、色彩も重厚で男性的でした。文化・文政の再興期には、太平の風潮に馴れたためか、若杉窯や吉田屋窯等の製品が和やかな味わいを長所としていました。幕末期になると民山窯、小野窯、飯田屋窯などの“赤絵” が流行します。春日山木米窯が加賀における“磁器中興の源” と言われるようになりました。明治維新の頃からは“色彩金襴手”(庄三風)が脚光を浴び、明治以降も時代の流れと共に “青九谷” “赤絵九谷” と種々の変遷をたどりながら現在に至っています。

次回は、九谷焼の画風について、お話しさせていただきます。

〔写真は、いつも小生が愛用している九谷焼の急須です。〕